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執筆者の写真Takumi Tsukudate

意識高くあること

意識高くありたいと思う一方で、俗に言う「意識高い人」を敬遠してしまう傾向が僕にはある。

意識が高いことへの憧れはあるが、そんなに尖りたくもない。なんだかこわい。意識は高くなければならないのだろうか。そもそも「意識が高い」って一体なんなのだろう?

そんな疑問を感じたのは、現在僕が参加しているイベントの影響が大きいのかもしれない。そのイベントは、博報堂が主宰するブランドデザインコンテスト、通称「BRANCO!」というものだ。

このイベントでは大学生が3~6人のチームを作り、出題される課題に対してブランドをデザインするというイベントである。毎年開催されているイベントで、課題・テーマは「秘密」や「暇」、「嘘」といったように単語のみで出題される。今年のテーマは「普通」であった。

先日、僕の周りの人6人でチームを組み、エントリーをした。数日後にBRANCO!用のSlackが開設され、#generalチャンネルで自己紹介大会が始まった。

何やらすごそうな(カタカナが多すぎて僕にはよくわからない)インターンに参加している人や、古着屋を経営してますといった人。すごいなあと思う一方で恐怖感や嫌悪感を覚えてしまう自分。たぶん発言している本人たちにそんな気持ちは一ミリもないのだろうが感じてしまう顕示欲。ただ単に僕が多感すぎるだけなのだろうが、どうしても自己紹介というものが好きになれない。

もっと粛々と好きなことを突き詰めることはできなのだろうか。 確かに、自己発信はとても大事だし、宣伝もしなければ自分の作ったものは伝わりづらいし広がらない。SNSをフルに活用するに越したことはない。でも、一人で粛々と何かを作っている人はどうすればいいのだろうか。僕は一人で何かを作れるほどの実力はないし、かといって、BRANCO!のSlackで見る彼ら彼女らのように自己を前面に出す勇気もポートフォリオもない。難しい。

なんとなく「意識が高い」でgoogleで検索してみた。wikipediaに「意識高い系」というページがあった。そこには意識高く自己発信をする大学生が嘲笑の対象になってきている時代背景が書かれていた。「意識高い人」の特徴がいくつも書かれていた。「やたらとかっこつける」、「自分磨きに取り組む」、「就職活動のイベントに積極的に参加する」などなど。

でも、これらの一体なにが嘲笑の対象だというのだろう。そういったことをすることができない人間が僻みで書いているとしか思えない。これもこれで僕は嫌悪感を感じてしまう。みんな一体何に追われてそんなにトゲトゲしているのだろう。誰もが相手の評価を気にせず粛々と好きなことをできればいいのになと感じている。


P.S. 『「意識高い系の病:ソーシャル時代にはびこるバカヤロー』という本がwilkipediaに掲載されていた。amazonで調べたところ1円で売っていたのでポチってみた。配送料が350円で配送料の方が高かった。

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