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執筆者の写真Takumi Tsukudate

友達が死ぬのなんてラッパーくらいだと思っていた。

友達が死んだ。


亡くなったと言うにはあまりにも突然すぎて、死んだという表現がしっくりくる。


友人からラインで知らされ、驚いた。焼香は二日後。少し予定を削れば地元の北海道まで行けないこともなかった。


正直、迷った。僕なんかが行くべきなのか迷った。彼は高校時代の友人だったが、特別親しかったわけではなかった。高校卒業から今日までの6年間一度も顔を合わせることもなかった。もちろん、僕は彼の死を聞いて悲しかった。でも、僕よりも親しい人は他にたくさんいるし、中途半端な関係の僕に悲しむ権利があるのか分からなかった。きっと当事者でなければ「感情に権利なんてない」と言えるのだろうが、いざ当事者になってみると思い悩んだ。自分がどうすべきなのか分からなかった。行きたい気持ちはあったが、その裏に、行ってやったぞ感を得たいだけなのではないか、自己満足なのではないかと数々の疑問が浮かんでは消えた。本当に僕は彼のことを悼んでいるのだろうかと不安にもなった。とにかく僕は死んだ彼のことを考えた。彼との時間、彼との会話を思い出した。


それから徐々に彼のための選択をしようと考えるようになった。少しでも多くの友人に見送られる方が彼は喜ぶのではないかと僕は思った。そうすることで彼は自分の人生を肯定して旅立つことができるのではないかと思ったのだ。そして僕はスーツを着て横浜を後にした。まさか、今就活に使っているスーツを喪服として使うことになるとは思いもしなかった。


こんな形で高校時代の友人と卒業ぶりの対面を果たすとは思わなかった。久しぶりに会う友人たちは各々がそれぞれの人生を歩んでいて、今日旅立つ彼はその歩みを1人だけ止めていた。


彼は自殺だった。亡くなる二日前に会った友人からその話を聞いた。わからない。生きようとする意識の糸が切れる瞬間がいつ訪れるのかわからない。わからない。


彼はもしかするとずっと何かに苦しめられていたのかもしれない。死ぬに死にきれない日々を送っていたのかもしれない。とっくに生きることは諦めていたのかもしれない。実は何度も死ぬことを試みていたのかもしれない。僕たちが日々生きている裏で。


きっと彼は、生きようとしている僕たちでは到底及ばない次元で物事を考え、悩んでいたのだろう。死ぬことは生きることよりも難しい。そんな中で彼は死を選んだ。彼は心の底から死ねただろうか。死に切れたのだろうか。後悔なく死ねていることを願いたい。彼の選択に間違いがなかったと信じたい。死の選択を選んだ彼の勇気をここで静かに称賛したい。僕はまたいつか必ず彼を思い出す時が来るだろう。君にはそれだけの価値があったよ。静かに休んでくれよな。また会おうね。


愛を込めてこの言葉を今日旅立つ君に送ります。


ちゃんと死ねよ。

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