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執筆者の写真Takumi Tsukudate

ガリガリは救われないのか?

何度もこんな話を書いている気がするが、またしても書きたい気分になったので書いてみる。

僕はガリガリだった。

今となってはどちらかといえばゴツいという印象を持たれるようになった。きっと、小中高の友人からしたら信じられない話だろう。

僕は今までずっと自分の体重に悩まされてきた。いつも野球の練習では非力と言われ、コーチや監督からはことあるごとに「飯を食え」と言われた。 体育では屈伸をするたびにパキパキと音が鳴り、その度に教師に「大丈夫か!?築舘はすぐに骨が折れそうだな」と言われていた。高校二年生の冬の段階で、身長175センチに大して体重は55キロだった。

三年生の最後の夏を迎えるまでには体重を増やしたい。そう思った僕は高校二年生の冬に体重増量計画をたて、一日4000キロカロリーを摂取できるように毎日の食事のカロリーを計算しながら過ごした。受験期とかぶっていたので、休み時間におにぎりを食べていたら教師に「勉強しろ!!」とひどく怒られたことがあったが「僕は体重を増やしたいんです!」と言って引き下がらなかった。

結果的に、高校三年生の春に体重が60キロまで増えた。僕としてはやっと体重を増やすことができて嬉しかった。

野球部を引退し、本格的に受験期に入った。この頃には食事の量を元に戻していたが、なぜか体重が落ちることはなく、むしろ少しずつ増えていった。冬に友人の誕生日会があり、数人で友人宅で祝った。後日、当時付き合っていた彼女とその誕生日会の集合写真を見ていたときに、自分の顔がやけに丸くなっていることに気がついた。「太ったなー」なんて呑気に話すと彼女は「まじで笑えない」と真顔で僕に言った。

高校卒業後、僕は浪人した。それからというもの僕の体重は増え続けた。顔はどんどん丸くなっていく。二浪目の夏の終わり頃には気がつけば体重は70キロに達していた。さすがに体重を減らそうと考えるようになった。長年に渡ってほしいと思っていた体重は今やなくなってほしいものとなっていた。

二浪目の冬。僕は成人式に赴いていた。体重は65キロまで減らした。しかし、成人式の会場で僕の存在に気が付く人間は一人もいなかった。こちらから話しかけて気が付くのにも、数十秒かかるほどだった。ひどければ名乗るまで気づいてもらえないという始末だった。

「太ったなあ」と明らかに悪い意味で何度も言われた。一方、当時太っていた友人が痩せた姿で登場したときには「痩せたなあ」と歓声があがった。

ガリガリは痩せていれば、「骨みたい」「非力」とバカにされ、太れば「太ったな」「デブじゃん」と再びバカにされる。

一方で、デブ(ガリガリの対比で、悪口を言いたいわけではない)は太っている時はバカにされるかもしれないが、痩せれば称賛の嵐である。

ガリガリに救われる道はないのか?????

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